ベトナム2002 No2

 2002年5月、ベトナム国内で3症例目と4症例目
になる臍帯血移植が、ホーチミンの
血液センター病院で行われました。
 我々は、手術後の検討会に参加させてもらい、
その後市内の医療施設を見学しました。
現地の医療施設の視察と臍帯血移植を行う
東大医科研細胞プロセッシング研究部の
高橋教授らに同行させて頂きました。

 以下はその時の報告文をそのまま掲載しました。
 写真や説明、感想はすべて2002年当時のものです。
 ご了承下さい。

 臍帯血(さいたいけつ)とは

 臍帯血とは胎児と胎盤とを結ぶ臍帯(へその緒)の
中にある血液のことです。
 
 骨髄移植は白血病や再生不良性貧血などの
患者さんの骨髄細胞を健康な人の骨髄細胞(血液の
もととなる造血幹細胞が含まれる)と入れ替える
治療法です。
 しかし、この骨髄移植を行うためには、患者さんと
提供者(ドナー)との間の白血球の型が一致しなければ
うまくいきません。また骨髄の採取には強い痛みと
入院が必要になります。

 日本でも平成4年(1992年)に骨髄バンクが設立
されてから、年間500例近い骨髄移植が実施され、
多くの患者さんの命が救われています。
 しかし骨髄移植の必要な患者さん全員にドナーを
見つけるまでには至っていません。

 さて臍帯血はこれまで胎盤と一緒に破棄されて
いました。しかし最近臍帯血には造血幹細胞が骨髄と
同じぐらい豊富に含まれていることが明らかになり、
新しい幹細胞の源として注目されるようになって
きました。

 臍帯血中に含まれる造血幹細胞を用いて移植を
行う事を臍帯血移植と呼びます。従来の骨髄移植に
加え臍帯血移植も行われるようになり、
造血幹細胞移植の必要な患者さん、特に小児の
患者さんが移植を受ける機会が飛躍的に
増加しました。

 臍帯血移植を実施するためには、お産の時に
提供を受けた臍帯血を患者さんが必要とするとき
まで保存する施設が必要になります。

 これが臍帯血バンクです。

 日本国内のみで血液の適合するドナーを探す
よりも、より多くの国で提供者(ドナー)を探した方が、
患者さんに合う血液が見つかる可能性が高くなります。

 アジア地域における臍帯血移植

 現在アジア地域における臍帯血移植は、日本、
中国、韓国においてバンク組織が整備されつつありますが、
東南アジア地域についてはタイなどにおいて
始まったばかりです。

 ベトナムに臍帯血バンクおよび臍帯血移植体制が整備
されることにより、アジア地域全体における臍帯血移植
および臍帯血バンクネットワークは大きく進展するものと
期待されています。

 ベトナムでの臍帯血移植

 我々はベトナム国内で3症例目と4症例目の移植を
行った東京医科研細胞プロセッシング研究部の
高橋恒夫客員教授に同行させて頂いた。

 臍帯血移植はホーチミンの血液センター病院で
2002年5月に行われた。
 今回移植手術を行った東京医科研細胞プロセッシング
研究部門には、ホーチミンシティの輸血・血液学センター
から国際協力事業団(JICA)の援助の下、2001年4月から
4名の研修医(医師2名、看護士1名、技師1名)が東京の
臍帯血バンク分離・保存施設に研修留学している。

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 臍帯血移植が行われたホーチミンシティ
 の血液センター病院



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 左が執刀医の高橋恒夫教授、
 マイクを持っているのがベトナム人医師で
 血液センター所長である。
 この日の気温は38度、もちろんクーラーはない。


 ホーチミンの血液センター病院

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 ホーチミンの血液センター病院の内部である。
 天井の扇風機、水道、壁のスイッチからも
 病院施設の貧弱さがよく分かる。


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 一見普通の病室に見えるが
 集中治療室である。
 見ての通り何の設備もない。
 クーラーは完備されていた。


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 移植する血液の型は、この部屋の
 顕微鏡を使って検査員の目で血球や形、
 色で判断する。
 日本では考えられない古い方法である。


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 クリーンルーム内のクリーンベンチ(写真左)
 移植が行われた手術室
 2つのドアの向こう側がクリーンルームである
 (写真右)


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 手術管理室
 一見ただの部屋に見えるが、この部屋の
モニターですべての手術が映し出され24時間
管理されている。
 左のホワイトボードには術後の経過が
細かく記載されていた。


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 臍帯血保存システム「Bioarchive」
採取したより多くの臍帯血を保存し、安定した保存品質を
保持するための装置。
 このシステムは大型の液体窒素タンクとプログラム
フリーザー部、臍帯血ユニット、移動用のロボットアーム
からなり、液体窒素中に最大約3600本の臍帯血が
保存できる。

 
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 日本にも4機しかない臍帯血保存システム「Bioarchive」が
 ベトナムに1台あることからも、この国が
臍帯血移植に力を入れていることがよくわかる。
 社会主義国家だからこそ可能な購入物である。


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 ウイルス検査室
 この部屋で保存血のC型肝炎ウイルスなど
 をチェックする。
 ベトナムではHCV(C型肝炎)の割合が高く 
 約3%だという。

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 コバルト照射装置

 施設内は古い機器と新しい機器が混在している。
 PCなどは最新の物も設置されている。 
 JAPANと書かれた機器も多い。


ベトナムの医療事情

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 ホーチミン市内の産婦人科病院
 病院の上に翻る真っ赤なベトナム国旗が印象的である


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 病院の待合室は付き添いの男性でいっぱいであった。
 ベトナムの医療は特別なものを除いてほとんどが保険で
 受けられる。先に個人で支払い、後から国から費用が
 戻る仕組みである。
 残念ながら臍帯血移植は保険適応外である。
 臍帯血の費用は2万ドル(200万円)、移植が3000ドル(30万円)で、
 これはベトナム人の平均年収の10年分である。
 日本円にすると5000万円ぐらいである。

 
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 この病院では一月に300人、年間約4000人の
出産があります。出産時に採取された臍帯血は、
適合する患者が現れるまで冷凍で保存されます。

 臍帯血は出産時に採取されますが、日本では
より新鮮な状態で採取するため、胎盤が出る前に
採取します。
 ベトナム(この病院)では胎盤が出た後に採取
していました。

 
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 ホーチミン市内には”ホーチミンナショナルメディカルスクール”
 と”ホーチミンシティメディカルスクール”の2つの医科大学がある。

 社会主義国家では医師は国家公務員であり、そのため
日本のように小児科医や産婦人科医が少ないという
問題は発生しない。
 卒後は各科に自動的に振り分けられるため各科の
医師が均等に配属される。


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 ホーチミン市内の歯科医院
歯の絵が書いてある。
看板はきれいだが建物はかない古いようである。


 メコン川

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 チベットに端を発し、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを
横切って東シナ海へ流れ込む大河である。
 下流域はメコンデルタと呼ばれ、一帯は肥沃な土地で
古くから稲作が盛んに行われてきた。


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 メコン川で遊ぶ子どもたち
 水は茶色くとれもきれいとは思えない水である。
 ”ふな”や”どじょう”などが釣れるらしい。

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 メコン川流域の民家


 ベトナム料理

 カンボジアやネパール、タイの料理より、
 一番食べやすく美味しい。

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 象の耳
 と呼ばれるメコンデルタ地方の魚料理
 揚げてあるが鱗が残っていて多少気持ち悪いが
 食べればカレイの唐揚げと同じで美味しい。

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 終わりに

 今回の医療視察に参加させていただきましたが、
 臍帯血移植に関していろいろ勉強させていただきました。
 また、ベトナムの医療事情も多少理解することができました。
 高橋恒夫教授ほか、一緒に参加された皆様、
 ありがとうございました。

 ここからは2015年の記述です。

 2002年に臍帯血移植にご一緒させて頂いた
 高橋恒夫教授は現在も、
 東京大学医科学研究所
 細胞プロセッシング研究部門 
 高橋研究室で臍帯血移植の第一人者として
 研究されています。
 益々のご活躍を祈念しております。
 
 
 
 


 


 

 



 

 
 

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Tag : 阪本貴司 医療ボランティア 臍帯血バンク

ベトナム2002 No1

 2002年5月、ベトナム国内で3症例目と4症例目
になる臍帯血移植が、ホーチミンの
血液センター病院で行われました。
 我々は、手術後の検討会に参加させてもらい、
その後市内の医療施設を見学しました。
現地の医療施設の視察と臍帯血移植を行う
東大医科研細胞プロセッシング研究部の
高橋教授らに同行させて頂きました。

 以下はその時の報告文をそのまま掲載しました。
 写真や説明、感想はすべて2002年当時のものです。
 ご了承下さい。

 ベトナム2002年

 ベトナム社会主義共和国
 首都 ハノイ市
 面積 約33万平方キロメートル
 人口 約7400万人
 時差 日本時間マイナス2時間
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 ベトナムはインドシナ半島の東半分を占め、
南北(1650キロ)に長いS字型をし、北は中国に接し、
西部はカンボジア、ラオスに隣接する。
 東部は東シナ海に面し国土の75%は山岳地帯で、
最高峰の山はファン・シー・パン山で3143mである。

 ホ-チミン市
 東南アジア地域には、タイ、マカオ、カンボジア、
ネパール、中国と行った事がありましたが、ベトナムには
行った事がありませんでした。

 以前から行きたい国だったので今回のミッションが
決まったときはうれしくて、ぜひ行こうと思いました。
 ベトナムについての知識は、社会主義国家であること、
アメリカとの戦争に勝った国、ベトナム戦争後のボートピープル、
ドイ・モイ政策、そして、首都のハノイ、今回行く予定の
ホーチミン(サイゴン)、これぐらいの知識しか
持っていませんでした。

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 タン・ソン・ニャット空港  
 到着した、タン・ソン・ニャット空港は、日本の地方空港を
かなり古くしたような作りで、平屋の建物の上に真紅に
黄色の星のベトナム社会主義国家の旗が翻っていたのが、
強烈な印象でした。
 人口450万人のベトナム最大の都市ホーチミンは、
1975年の解放以前は、サイゴンと呼ばれており、
私自身もサイゴンの方が聞きなれた名称でした。
 このホーチミンと言う名称は、1930年にベトナム
共産党を結成し独立運動を展開した、ホー・チ・ミン氏
の名前から由来しています。

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 ホーチミン市内の最もにぎやかなドン・コイ通り付近
 古い建物の奥に見える高層ビル、まさに
復興真っ只中の活力ある国がベトナムである。

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 ベトナムの将棋か、日本でも見かける
よく似た風景である。

ドイ・モイ(開放)政策
 1975年にベトナム戦争が終結し、南北統一を果たした
ベトナム社会主義共和国が成立した。
 北部政府は南部の社会主義化を急いだため、
南部の華僑商人達の反発を招き、多くのベトナム難民、
ボートピープルを生み出した。

 その後1977年から78年には干ばつや水害などの天災、
1978年にはカンボジア侵攻、1981年にはソ連からの
援助打ち切りと国内経済は危機的な状況に陥った。

 このような苦境を打開しようとして生まれたのが
ドイ・モイ政策である。ドイは変える、モイは新しくする、
の意味で1986年から開始された。

 社会主義国家でありながら、市場経済の導入、
個人の所有権の許可、独立採算制の導入、
海外からの送金の自由化などが行われた。

 この政策は1990年に入って成果を見せ始め、
約10年経過した現在、この国は発展途上の
真っ只中にある。

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 市内のあちらこちらで開発工事が行われている。

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 国道には新しい電柱が延々と続いている。
 この景色はベトナム通貨の5000ドンにも描かれている。 

 東洋のプチ・パリ

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 1914年にフランス人によって作られた市内最大の市場

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 19世紀のフランスの植民地時代に整備されたホーチミン市は、
町並みにその面影を残している。
 東洋のプチ・パリと呼ばれる。

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 市内には超高層マンションの見られた。

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 ショッピングデパート
 
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 ホーチミン市を流れるサイゴン川
 ホーチミン市は昔はサイゴンと呼ばれていた。

 ホーチミン市内の町並み
 市内の建物の多くはかなり古く、非衛生的である。
 新しいビルも建設されているが市内の一部にすぎない。
 しかしたった10年でここまで発展したことを考えると、
ベトナム人の勤勉さと真面目さには驚かされる。

 日本が経済的にこの国に追い越されることはないと思うが、
識字率や教育の熱心さでは危機感を覚える。
 現在の日本人が失いかけている”勤勉さ”と”真面目さ”を
彼らは持っている。

 日本のベトナムに対するODAはかなり多く、
彼らも日本には好意を持っているようである。
 日本人には親しみやすい国かもしれない。

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 サンヨー・ヒサミツ・トヨタ、
 やはり日本企業の看板が目立つ

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 ベトナムの交通
 
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ホーチミン市の内の交通の9割がバイクである。
 ほとんどが50cc~120ccぐらいの小さなバイクで、
HONDAのバイクが圧倒的に多い。
 大きな交差点には信号があるが、小さな交差点には
信号がない。人が渡ろうとしてもバイクは止まってくれず、
非常に危険である。

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 日差しが強いため女性は長袖に帽子、フェイスマスクを
している。
 
 シクロ
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 市内のバイクタクシーとともに多く走っているのが、
シクロと呼ばれるリアカーに自転車を付けた
乗り物である。
 乗ってみたが意外に乗りごこちが良く、ソファーに
寝そべっているようで気持ちが良い。

 大型トラックやバスが往来する交差点や大通りの
中央車線をこれで走るのだから初めは少し怖い。 
 運転手も手慣れたもので慣れると気分がいい。
 タクシーで1メーターぐらい乗った。
 近い距離の相場は5000ドン(約40円)ぐらいの
ようだが、1ドル(15000ドン)渡した。
 乗っている最中にいろいろな店の情報を
教えてくれる。38度の炎天下をみやげものを
持って歩くことを考えると、この1ドルは安かった。

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 町中の屋台で売っていたお菓子
 袋の中身は甘く、まずくはないが、
一口食べたらもう結構という感じ


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 元フランスの植民地だけあって、道沿いには
フランスパンを売っている店が多い。
 ベトナムのパンはどれも驚くほど美味しかった。

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 町中でストローをさして飲むヤシの実を売っている。
 1個1ドルだったが、スイカの汁の
ような味で美味しくはなかった。


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 日中は暑く木陰で昼寝をしている人も見かける。


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 靴磨きではなく散髪屋である(上写真2枚)


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 母子で屋台のベトナム風ラーメンを売っている。


 ベトナムの物価
 サラリーマンの月収が200万~300万ドン(2~3万円)
 である。

 タバコ   1万~1万5千ドン(80~120円)
 缶コーラ  5千~1万5千ドン(40~120円)
缶ビール 7千~2万ドン(60~180円)
 Tシャツ  4万5千ドン(360円)
 タクシー(初乗り)  5千~1万2千ドン(40~100円)
 携帯電話 100万ドン(約1万円)
 携帯電話を使っている人は一人も見かけなかった。
 旅行会社の人は使っていた。

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 ホーチミン市の電気ショップ

 ベトナムの貨幣価値

 ベトナムの貨幣単価はドン(VND)
 100円は約1万ドン

 ベトナムのサラリーマンの平均月収は
200万~300万ドン(2~3万円)である。
 公務員の給与はもっと安く
80万ドン(8千円)ぐらいである。
 ベトナムは社会主義国家なので、
医者は公務員と同じで給料も安い。

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 すべての紙幣に描かれているのは
ホーチミン市の由来のホー・チ・ミンである。

Part2へ続く



 
 
 

 

 
 

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Tag : 阪本貴司 さい帯血 シクロ

カンボジア2000 No2

2000年にカンボジアで行った
学校建設ボランティア活動の状況を掲載します。

2000年当時のボランティア報告文のまま掲載しています。
カンボジアの状況や筆者の感想などは
2000年当時のものです。
そのままを掲載しますので
ご理解ください。


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カンボジア国旗
青はカンボジアの青い空を、
赤はカンボジア人の血の色を
そしてアンコールワットである。

アンコールワット遺跡を
タイも自国のものと言い争う。

私が出会ったカンボジアの
若者はこう言った。

アンコールワットはタイのものでもない、
カンボジアのものでもない。
世界遺産だと。

私はカンボジアの若者に
彼らの誇りをみた。



カンボジアの歴史

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カンボジアの歴史
カンボジアは17世紀以降徐々にベトナムに
植民地化された歴史がある。
そのためカンボジア人は伝統的にベトナムを
嫌う。

19世紀には北部シャヌリアップ州、北西部
バッタンバン州はタイの支配下におかれ、
その後それらの州と共にカンボジアは
フランスの保護国(植民地)となった。

ベトナム戦争勃発後1969年アメリカは
カンボジアに対しても爆撃を敢行するする。
カンボジア国内に入り込んだベトナム軍
を叩くためである。

シアヌーク殿下は政府軍だけでは、
進入しつつあるベトナム軍に対処
できないため、アメリカを引き入れた。

翌年アメリカ軍がカンボジアに侵攻、
反シアヌーク、ロン・ノル将軍が
クーデターをおこし親米政権を樹立する。

ロン・ノル将軍に対抗し立ち上がったのが
ポル・ポト(クメール・ルージュ)だった。

既存の社会を完全に破壊してしまうことで
カンボジアを再建しようとした。
学校、教会、仏教寺院などあらゆる組織や
制度を打ち壊した。

財産の私有は禁じられ貨幣さえ廃止された。

政府軍とクメールルージュとの戦いが始まった。

血みどろの殺し合いである。

双方とも捕虜は惨殺した。

1975年4月17日政府軍は敗れポル・ポト
政権が樹立する。

彼らは自分たちの行動を偉大な実験と位置づけ、
国家の孤立、強い国家を目指した。

「我々には100万から200万人の
若者だけで十分だ」
古い考えの人間は要らないと考えた。

強制移住の際、体力のない老人や子供・
病人はことごとく倒れていった。

堤防や森林を開墾する強制労働も
辛いものだったが、なによりも
食料をクメール・ルージュがすべて
取り上げてしまい、塩と米だけで
生きなければならなかった。

しゃべることも出来なかった。

村に進入している子供のスパイが
家の床下で聞き耳を立てていた。

知り合いに会うのも怖かった。
自分の過去が政府関係者である
ことがばれた場合、待っているのは
死だけである。

1978年のクリスマス
ベトナムはカンボジア侵攻を決意する。

この時ポル・ポト派追放劇の立役者となったのが、
当時26歳のフン・セン氏である。

1979年1月7日ベトナム軍は
ポル・ポト政権を駆逐する。

カンボジア国民はひとく飢えて
貧しくなっていた。

ポル・ポトが支配した3年8ヶ月20日間
に少なくとも100万人の人が殺され、
飢えに倒れていった。
この数は250~300万人とも言われている。

カンボジア2000
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カンボジアの子供たち
町のあちらこちらで、子供たちが屈託
のない笑顔で遊びに興じている。

カンボジアでは若者と子供たちの姿が圧倒的に多い。

バイクのお兄さん、露天で働く若い女性達、
路上でサッカーをする子供たち、
水遊びをしている子供。

ポルポト政権下で(1975~79年)
働き盛りの世代が事ことごとく
虐殺されたことによる。

こんな過酷な状況にあっても
彼らの生き生きとした表情は崩れない。

この子供たちが成長した時は
カンボジアの町や国も
立ち直っているだろう


img110 - コピー (2)

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大人が少なく子供が子供の面倒を
見ることが多い。


カンボジアの教育事情(2000年当時
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カンボジアは1970年代のポルポト政権時代に
民主教育を否定された特異な歴史がある。

ポルポト政権時代校舎は破壊され、教師、医者、
弁護士などのインテリ、知識階級は虐殺され
教育機能はすっかり衰えてしまった。

現在、小学校に行けない子供たちが
約50万人いる。

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校舎が足りなく、ビニールテントの下で
授業をしているところもある。

学校へ行ける子供たちでも小学校
3年生まで進級しても教室がないため
5年6年生の高学年まで進めない。

我々が建設を行ったシアヌークビル州の
プレーク・プロットでも学校がないため
勉強が出来ない子供が多くいた。

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子供たちに聞くと学校が欲しいという。
将来なりたい職業は学校の先生という。

自分が教師になって、弟や妹を学校に
行かせてあげたいという。

日本を知らない子供も多かった。

学校建設プロジェクトの光と影
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学校を建設するが雨季のため工事が
なかなか進まない。

興味津々に見守る子供たち。

(以下はから2015年 現在の執筆になります)
私がカンボジアにはじめて行ったのは
2000年の学校建設プロジェクトが
始まりです。

以後10回以上カンボジアに行くことに
なるとは当時は考えもしませんでした。

2000年以後、カンボジアでの学校建設
ボランティアが2000年~2006年頃
に日本でブームになります。

有名な企業や著名人がが
カンボジアに多くの学校を建設しました。

実際200万円ぐらいで学校は完成します。

2008年頃はカンボジアもプチバブルで
賑わっていました。

このように竹の子のように出来た
学校ですが、
いろいろな問題点がありました。

学校の校舎は作ったものの
先生が居ない、いわゆる保健室の先生も
居ない、井戸がない、水がない、
病気になった子供を診察する
医者がいない。

など様々な問題が2000年以降
出てきます。

学校とは、教師が居て、水などの生活環境が
整っていて、地域の医療も完備していて
はじめて成り立つものです。

2000年以後、
カンボジアでのボランティア活動を
続けることになりますが、
この学校建設が正しかったのか
反省するようになりました。

詳細は続編で記載したいと思いまが、
現在のカンボジアの一番の問題は
水です。

河川や井戸の汚染がひどく
安全な水は高くて(約5ドル)
多くの人が汚染された水と共に
暮らしています。

毎年6万人の子供が
水系感染症で亡くなっています。

下記のHPの
動画(約45分)の中で詳しく
講演しています。

興味がある方は
以下をご覧ください。
阪本歯科開業100周年記念講演会
2014年4月5日 
大阪国際会議場にて















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Tag : カンボジア 国旗 世界遺産 ポルポト クメールルージュ 歴史

カンボジア2000 No1

2000年にカンボジアで行った
学校建設ボランティア活動の状況を掲載します。

2000年当時のボランティア報告文のまま掲載しています。
カンボジアの状況や筆者の感想などは
2000年当時のものです。
そのままを掲載しますので
ご理解ください。

カンボジア2000

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アンコール・ワット
森の彼方の広大な地域に、
円屋根や五つの塔をつけた
巨大な柱廊がそびえていた。
アンコール・ワットは12世紀
(日本は鎌倉時代)
のカンボジアを代表する建造物である。


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プノンペン国際空港
小さな町のバス停のようだが
首都プノンペン国際空港である。


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中には世界の時刻を示した時計が
掲示されている。
空港は軍と共用であるため
旅客機の横に軍の航空機の
止まっている。


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メコン川
カンボジアの首都プノンペン市内を
南北に流れる大河である。
カンボジアを横切ってベトナム
に流れ込む。


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プノンペン市内
主な交通手段は車とバイクである。
鉄道はプノンペン市内から
シアヌークビル、コンポトム方面へ
3路線あるがほとんど利用されていない。
車は圧倒的に日本の中古車が多い。
安いのは車もバイクも
韓国製である。
 写真はバイクタクシー
50ccのバイクに人を乗せて運ぶ
タクシーである。
赤い色が多いのですぐに分かる。


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トイレ事情
カンボジアでは用を足した後は手で拭き、
その手を水で洗う。
カメに貯めてある水をひしゃくで
救って流す。
上の写真のトイレは有料である。
使用量は500リエル、約20円である。


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プノンペン市郊外の風景
カンボジアは5月頃から11月頃まで雨季で、
毎日のように雨が降る。
そのため1年に2回米が収穫できる。
郊外にはこのような田園が多い。


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道路事情
プノンペン市内から車で約7時間ほど
奥に入った辺り。
道は穴だらけで、
あちらこちらに池のように
水がたまっている。
水で浸かった道には木で橋が
作ってある。
子供達はこの橋を渡る車から
通行料をもらって稼いでいる。
誘導といっても単に橋へ誘導するだけで、
運転手には必要ない。
勝手に行っているだけである。
チップのようなもの、
一回約500リエル(20円)
ぐらいである。








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Tag : カンボジア 2000年 ボランティア プノンペン アンコールワット メコン川

医療安全管理に必要なISO9001を取得

 当センターでは、患者さんにより高い治療を提供するため
世界規格であるISO 9001を取得しています。

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 これにより、当センターの治療はもちろん、
診療器具や検査設備、医療安全管理も
常に高い品質を維持していることが認定されました。

 かけがえのない患者さんの歯を少しでも長持ちさせ、
患者さんのQOL(Quality of Life)を口腔健康管理を
通して向上させることが我々の目標です

 ISO9001:2008を取得するには毎年、
第三者機関からの審査を受けて合格する
必要があります。

ISO 2014 HP
 昨年度の審査
 審査は他診療所の歯科医を含めた
複数の審査員によって行われ、診療システムから
医療機器管理、医療安全管理など細部に渡って
調査されます。

当センターはISO9001:2008を2004年に
取得しました。
 これにより当センターの治療システム、
診療器材や検査設備、医療安全管理が
常に高い品質を維持していることが
認定されています。

 治療器具はもちろん、
歯を削る機器(タービン)から
コップやエプロンまで患者さん
ごとに滅菌交換されています。

 安心して受診ください。

 かけがえのない患者さんの
歯を少しでも長持ちさせ、
患者さんのQOL(Quality of Life)を
口腔健康管理を通して向上させる
ことが我々の目標です。

 2014年12月13日 本年度の
ISO900-2008の定期審査が無事に終了しました。

取得後、本年度で11回目の審査
になります。
 来年度からISO9001- 2015年度に
移行します。

 リスクアセスメントや医療安全に
重複する項目の審査が追加されるようです。

 ISO9001-2008 導入の目的は、
医院自ら定めた目標を達成するために
全スタッフで安全な精度の高い医療
マネジメントシステムを構築する
ことにあります。

 より質の高い医療を目指して
今後も頑張って参ります。


テーマ : 健康で元気に暮らすために - ジャンル : 心と身体

Tag : 医療安全 ISO9001取得 滅菌 タービン 治療器具 品質 品質マネジメント

プロフィール

阪本貴司院長

Author:阪本貴司院長

大阪歯周インプラントセンター
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1987年
大阪歯科大学卒業 
同大学院 口腔外科専攻
1988年
スウェーデンにてインプラント・歯周病治療研修
1991年
歯学博士学位取得
1994年
大阪歯周インプラントセンター代表

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